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役行者の母君で、女山伏の祖ともいわれる。お名前は、白専女(しらとうめ)、また渡都岐比売(とときひめ)、刀自女(とらめ)とも呼ばれていました。 ある夜、天空から金色に輝く金剛杵が降りて、口の中に入る夢をご覧になられ、ご懐妊されたのが役行者様といわれます。故に幼名を金杵丸(コンショマル)との伝えもあります。 胎内にいるときから「神光」を放ち、ご生誕のみぎり、頭に一本の角があったという伝承もあり、これが「小角」(おずぬ)の名の由来ともいわれます。 母君は、役行者さまがお山へご修行の時はいつも麓まで同行し、見送られたといいます。 その故事に則り、後世、登拝口の母公堂には母公像が祭られるようになりました。 大宝元年(701)6月7日 、役行者は老母を連れ 箕面の天上ヶ岳へ登り、母を鉄鉢に乗せ五色の雲に乗って渡天されたと伝わります。 男性の「先達」に対して、女性の「輔教」は白専女の生き様そのものが、 女性としての修行のあり方を表したものといえます。 「専女」とは「狐」を表し、「白専女」とは「白狐」という意味になります。 鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」は、五つの経典の総称ですが、 その中の一つの『御鎮座伝記』の中に、「御倉神(みくらのかみ)の三座はスサノオの子、ウカノミタマ神なり。 また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」 と記されている箇所があります 上記の内容によれば、御倉神はスサノオの子であるウカノミタマの神であり、 その別名に「専女」や「三狐神」がある。 という事になります 「狐」は「稲荷」の神様の御使いとも云われております。 「稲荷」の神様と言いますと、 『古事記』では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、 『日本書紀』では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と表記されており、 倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)の別名であるタウメミケツは、 専女三狐(たうめみけつ)神に由来するとも云われていることから、 先の『御鎮座伝記』で記されている内容と同様に、 「白専女」はウカノミタマの神に関係していると解けます。 以上のような内容を踏まえますと、 役行者の母君であられる白専女は、 ウカノミタマノカミの御霊を持つ存在であったとも考えられます。 |